ヒス

ねえ💨💗✴

約束👫したのに

どうして❔❔

承認👍も

返信✉↩も

無し😒✋で

 

私👯は

やっぱり😭🔪で

変身✋✴✋

いつも通りに😊💗

曖昧🌀🌀

私👯💗🔪💗が

きっと怖い👿👤👤👿のね

青春💃🏃🏃💃ゾンビ🃏🃏🃏🃏

 

 

 

 

 

話せば話すほど解離する本質的な気持ち私は貴方といるときの私は真実じゃないと思っていますそれを貴方は感じ取ってくれていると思っていましたがいささか都合がよすぎるようですね外でお会い出来る機会が在れば証明出来ると思っていたのですがそれも叶わぬほど私は暴走してしまったのでしょうかならばとノスタルジー中指たててファンタジーを始める所存で何にも私に論理は不要です理路整然均一シンメトリーを私は文では作り出せません作り出せても偽物寒気の代物この壊れた文体でしかのびのびとしていられませんゆえ生きづらいのです貴方の中では

 

私の感性を怖がる貴方が好きだった

 

私に興味がないところが好き

 

SNSと私

私は今年19歳だから、SNSと一緒に育ってきた世代だと思う。

小6ではてなブログを始め、

中1でmixiTwitterを始め、

好きなアニメの2次元創作をする為のアメブロもしていた。(当時はアメーバピグが中学内でも流行していた。)

高校生になると、iPhoneを持ち始め、それまでパソコンでやっていたSNS との距離も物理的に近くなった。

ラインで友達と毎日連絡をとっていったし、Twitterで行った場所や友達とのプリクラをのせた。

彼ができたときは、ちょっとにおわせるようなツイートをした。友達のなかにはカップル共同アカウントを

作っている人もいたし、そこまでいかなくても、「付き合って○○月記念!」

みたいなツイートはよくみたし、機械的に「いいね!」を押していた。

 

気がついたときには、SNSを始めた頃の純粋な動機の「表現したい!見てもらいたい!」

が、いつのまにか「承認欲求満たしたい!」になっていた。

そして、いつまでもつづくラインもいやもなって、高2の夏に、スマホをやめてガラケーにした。

そんなに不便はなくて、むしろ、まとめサイトを徘徊して時間を無駄にすることもなくなって、気持ちにゆとりができた。


しかし、今年の春、第一志望だった国立の教育大に受かり、連絡手段でスマホがないと不便だろうと思い、

タブレットを使うことにした。実際、サークルや学科の連絡のためには必需品だった。


ついでに、スマホ買い換え記念に、流行りのInstagramを始めてみた。

でも、Instagramに投稿するために生きている錯覚におちいってやっぱりやめた。

れいな景色、おいしいご飯、友達との時間、すべてが「投稿しなきゃ!」に変わってしまう感じがした。

そんなこと、思わずに楽しむものなのかもしれないけれど、不器用な私にはムリですぐにやめた。


今まで、Twitterのアカウントは10個以上作った。

定期的に上のような理由で、いやになってやめてきた。


やめるまではいかなくても、私のような人は他にもいるはずだ。

私の好きな歌手の大森靖子さんの歌詞にこんなものがある。

 

「離婚したいなんてFacebookに書いとらんかったじゃんね 模倣的幸せに窒息しそうで鮮やかに逃げて」

 

SNS上にある「模倣的幸せ」にこだわる自分も、合わせる周りも、気がつくと現実の自分と解離が止まらなくなっていく。でもそれは自分だけだと思って、見て見ぬふりをして「模倣的幸せ」を求めていく…


ネットはどこまでが虚構で真実なのか、自分のことも、他人のこともわからなくなってしまう。

いつも私はそれがいやで「今、目の前の現実だけみよう」と思ってさまざまなSNS を退会してきた。

 

でもそれでは、初期衝動の「表現したい!見てもらいたい!」はいつまでたっても叶わないし、

大学生になってさまざまな「おもしろいひと」と出会って、

SNSを使って、興味や人間関係を広げたいと思うようになった。

 

またすぐやめちゃうかもだけど……うまく使っていきたいです。

 

心傷

もくもくと湯気が立ち込めるその街は、肉まんの皮のにおいと、剥がれかけの赤の壁、中華鍋で野菜を炒める音で満ちていた。

 

私は、だぼだぼの服でいつものようにその町へ行って、おかみさんから肉まんをもらったり、道で遊んでいる子供たちの面倒を見たり、鶏の世話をして一日を過ごす。

昼間は埃っぽい町でも、夜になれば赤色の飾り提灯に明かりが点り、つやつやとした真っ赤な町になる。

にんにくと笑い声とお酒のにおいがいつでも五感を刺激する。

屋根に上がると、藍の夜空に星が散らばり、下の町は赤く光っている。

 

目を閉じてうつらうつらする。

 

私はこっちにきてからなにも考えていなかった。

ただ毎日、食べて遊んで風景を見ているだけだった。

この毎日を続けられたらどんなに良いだろう。でもそうはいかない。現実はすごい。

 

あの人の面影を感じる場所にまた戻るというのは、出ていくよりも何倍も辛い。

 

 

私が彼女に出会ったのは夏の終わりで、

 彼女は私の通う大学の研究員だった。

私が研究室に資料を取りに行くと、彼女は、昨日発掘されたばかりの飛鳥時代の美術品についた土を、リスの毛のブラシで、長いまつげを伏せてはたはたと落としていた。

目が合うと、彼女は私に微笑んだ。

私は、また彼女と会うことになるだろうと、意識下で感じた。

 

 

そして二週間後、大学の真っ白で無機質な休憩室で彼女に会った時は、やはり、と思った。

二人きりの静かなその部屋には、自販機のヴーンという音だけがして、西日が射していた。

彼女は私の横へ座ると

「××××さん」

 と私の名前を言った。

私はさして驚きもせず

「はい」

と返事をした。

見つめ合うと、お互いの気持ちを手に取るように感じあった。

 

女同士の交信は一瞬でなされる。

 

彼女のディオールグロスと、私のイヴ・サンローラングロスが混ざりあって、熱をもって私の唇にまとわりついた。

 

 

彼女と私は連絡先を交換することもしなかったが、定期的にばったりと会って、大学内でひっそりと逢瀬を繰り返していた。

 

 

ある時彼女が「温泉にいきたいの」とグロスを塗り直しながら言ったのでC市の温泉旅館に泊まることになった。

私は彼女と居る間、ほとんど喋らず、表情もなかった。彼女自身もあまり喋らなかったが、いつも余裕そうな微笑みをたたえていた。

旅館でもいつもどおりだった。

 

 

私たちは、食べて、お互いの身体を触りあうことを繰り返していた。

大きな蛤の浜焼に彼女は艶々の唇を近づけ、白い歯で捕食した。ちゅっと短い音を立てて貝柱を吸い込んだ。

私は、地元のブランド牛を口のなか一杯に頬張って彼女のほうをじっと見る。デザートのケーキを、お互いに生クリームが色んなところについても気にしないで、見つめあって食べた。

会話もせず、捕食し続けた。本当に食べ物は食べ物でしかなく、海の匂いや山の湿った土のにおいを感じながら味わった。

 

 

彼女の指の這わせかたは予想がつかなくて全身の細胞が緊張に満ち官能を一瞬の隙もなく感じさせる。

これまで出会った幾つかの男の手順を私は完全に忘れてしまった。

温泉では人がいなくなるとぴったりと抱き合って、硝子の外に広がる、夜の真っ暗な海を見ていた。

お湯に包まれながら彼女と私の白い胸がふにゃりとくっついて、じっと黙っている私は、まるで赤ん坊のようだと思った。

「海水は」

彼女が呟いた。

「海水は羊水の成分と98%同じなの。女は身体に海を一つ持ってるのよ」

抱き合って暗い海を見つめると海のうねりが生き物になって私を飲む。

ちゃぷんと私や彼女が動く度にお湯の音が響く。オレンジ色の照明がぽわんと灯っている。

彼女の湯船に浸ってない肌にキスするとひんやりと冷たかった。彼女の柔らかい肌に抱きしめられて、私は安心して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

ある出来事から、愛する彼を受け入れられなくなってしまった。

彼は理不尽な私の出来事に、はじめは私を心配し、同情し、大切に扱ってくれた。

しかし時が経っても変わらない私に、困惑し始め、ある日

「減るもんじゃないのに」

と言った。

心も受け入れられなくなってしまった。

 

 

 

 

 

敷かれた糊のきいた布団はひんやりと心地よく、すぐに私たちは眠ってしまった。

耳元で、おやすみ、と私に声をかける彼女の柔らかい声と、髪を撫でられる感覚を遠くで感じ、心地よく、遠い幼かった頃の母の記憶を思い出した。

 

 

 

突然やってくる、不安や哀しみの発作から離れて、ただ安心して眠りたい。

 

今の私の願いはそれだけで、一般的に見たら不安定な関係でも、私の意識が安心していられる関係で、彼女は、一本の道の先で手招きしているように感じる。

ただ、歩くと決めたのは私自身だ。

「ばらばらハートであいらびゅー」

多様性を認めるという意見が世界を席巻しさまざまな分野で多様性を認めるよう言われている。LGBTも人種も多数決の少数派も猫派も性癖も。「差別じゃなくて、区別だよ」小学生の私に友達がいい放った言葉が、ねっとりとした笑顔の張り付いた光景と共に蘇る。「普通」とは何をもって普通とするのかということを考えると日々の生活のさまざまなものが疑わしくなり、人間が作り出したものが虚構と化していくように見えるのではないか。私はそこまでの偏りがないので虚構の具現であるブランドバックも眼鏡理系イケメンも大好きである。型にはめずに生きるというのはむずかしくてはたから見ると危険思想人物となってしまうだろう。結婚しないで、既婚者と恋愛していたら、きっと親には泣かれる。でもその倫理観って誰が作ったの。システムひとつ作るごとにマイノリティーを作っている文化の片棒を担いでいるのは誰か。しかし私のこの文章もひとつの価値観の押し付けに過ぎず、妄信的にならないようにしなければならない。でも、私の主張自体は多様性を認めよう、という意見である。ただ、多様性を認めないという多様性は今の私は認められない。でもそれでいい。1950年代には怒りに満ちた大学生が大学を占拠して戦った。でも私はそんな闘争心はなく、いちいち自分を客観視して折衷しようと試みるが、それもまたそれでいい。私の理想は、揺らす存在になることだから。今は勉強に置いて私は思春期だから、あとしばらくしたら嫌でも諦めと悟りがやってきて自分のものになるから、周りはせいぜい揺れてほしい。

 

 

 

 

 

 

さかいめ

眠いし眠らなくてはならないのだけれど

 

だけれど

 

野球少年の言葉

「周りの人への感謝の思いを胸に精一杯がんばります!」

まっすぐな目をした彼は今どこで何をしているのかな

 

私はその言葉を縁側を開け放した暑い日、冷やし中華を食べながら見ていた

スイカの柄のシャツを着た小学生

 

「せんせいっっっっっ」

お菓子をもって腕を伸ばすのだけれどなかなか届かなくて

後ろ姿ばかり見ている

脱毛サロンに通っているのは気づいているよ

 

 

「ねえ、グラウンドを見ているのよ。

夏の、グラウンド。ううん、学校のグラウンド。

土間にパイプ椅子を置いて、トランペットを吹きながらグラウンドを見ているの。光で視界がぽーっとしてきてセミが鳴いてるの。

その音に混じって、あのこの高音が聞こえてくるから私は焦って練習を始めるわけ。グラウンドを見ながら。グラウンドの黄土色がね、目の前に迫って、セミが鳴いて、あっついったらありゃしない。そのうち自分がグラウンドの黄土色に飲まれそうな感覚がしてね、あれは蟻地獄よ。

ねえ、聞いてるの?

ねえってば」

 

 

 

 

深刻な話を笑って話す私真剣な目で見つめる貴方

 

 

 

 

 

暗い夜道をあの子が歩く。

後ろから車が来て拉致して犯して川に捨てられる。

川は流れるだけ

どれだけ負け続けても流れは止まらなく、川原に咲く紫の花は存在するだけ。

 

「あの子」という人称にしてしまう辺りが私の弱さでありズルさであり性であると感じる。

恐ろしいものは恐ろしいのだ。

 

 

とろとろと眠りそうな頃、

幼かった私は様々な光が見えた。

金色や赤のキラキラたちが光ってパレードをした。

しゃんしゃんと異国情緒溢れる音楽と共に。私に限った話ではないらしい。

 

 

 

 

 

 つまり、眠いのだ。