2月20

 あさ、目をさますとお昼で、妹がテスト週間から帰ってきて「まだ寝てるの」と私を呆れて見て言った。電気をつけられたので「消して」と言うとさらに呆れ顔をして消された。
 やっと起きてくると祖母が病院から帰ってきて、何度も疲れた疲れたと連呼している。なんだかむっとして何も言わずにトーストを食べる。母から食洗器をかけてと言われたことを思い出してぼうっとしながら食器を入れた。
 髪の毛を染めに行こうと、美容院に電話するとつながらなかった。第三火曜日定休日、そうだった。
 大学の後期の授業がはじまってからずっとバタバタしていてきちんとできていなかった部屋を掃除しようと試みる。ちょこっときれいにした。
 その後本を読む。正岡子規の「恋知らぬ猫のふり也玉遊び」という句がいいなと思った。猫が気づいていてもわざと知らんぷりして玉で遊んでいるところが思い浮かんだ。ラインで恋愛について聞かれたメッセージに「よくわかんないです」と答える。影響されやすい質である。
 TSUTAYAに行こうと思って、お化粧する。今日は予定が何もないし、しなくてもいいのだけれど、する。気分が上がる。一年前までしないで外を出歩いていたことが信じられない。化粧とは男のためにするものだと文学の作品分析で習ったけれどそうではないと思う。
最近買ったイヤリングをしていこうと思ったが、片方なくしてしまった。心から悲しくなる。落とした場所に心当たりがあったので向かうことにした。
 その前に、六十歳上の文通相手にお手紙を書く。つらつらと一枚弱書いておしまい。軽く封筒にのりをつける。
 ファー付きのコートと手袋をするとシルエットがかわいくて良かったので、ハイヒールも履くことにした。TSUTAYAに行くだけだけど。片方だけになったイヤリングを右にだけする。こういうファッションなんですッという顔をする。
 外に出ると日差しがあたたかくてよかった。スーパーに寄ってたらこパスタの素を買う。さっき読んだ本でたらこパスタが出てきたのだ。影響されやすい質である。
 イヤリングの現場に横断歩道を渡ってすぐまできた。遠くから、地面にきらっと光るものが落ちているのが見える。ああ、あれは私のイヤリングに違いないと思う。右耳のイヤリングもちりちりなっている。青になって渡ってみると、そこには何もなかった。ただ、アスファルトの石が光っているだけだった。しばらく下を見てうろうろすると道行く人に怪訝な目で見られる。
諦めて、交番に行く。イヤリングの落とし物の届け出を書く。「思い入れのあるものですか?」「特別な素材がつかわれているとかですか?」と聞かれたが、私の落としたものは量産の1600円くらいのもので、自分で買っただけなので申し訳なくなった。
交番を出て、TSUTAYAに行こうとすると、向かいから来たおじさんに、「おねえちゃん、手袋」と言われた。振り返ると、手袋を片方落としていた。ちょっと笑ってしまった。
TSUTAYAに行くのが急にめんどくさくなって、家に帰ることにする。
家を建て替えるときに一時住んでいたマンションを横切る。段ボールに囲まれた、とんちんかんで楽しかった毎日を思い出す。夏の制服で、マンションのエントランスから、一駅近くなった駅へ毎朝ダッシュしていた。制服がとてもなつかしい。とくに夏服が好きで、着たい、と思った。セミの声も、制服の糊のきいた質感もなつかしい。
女子中学生の一団とすれ違う。進路の話と悪口。みんな左に口角を上げて低い声で笑っている。なつかしい。なんかだか生臭くてヒリヒリしていた中学時代を思い出す。
路地のミラーに自分が写っている。足が太くてがっかりする。この一年でさらに顔は丸く、目が小さくなった。ぶってやりたいようなあさましさだった。
年月を実感する日はあまりないけれど、なにも予定がなくて、スマホもあまり見てない今日は色々と感じては消えることばっかり感じている。棒切れみたいな小学時代、やたら太っていた中学時代も過ぎてしまった。私はそんなころは成人になる前に自分は死んでいる気がしていた。
いま、というものはおかしい。いま、いま、と言っているうちにいまはいなくなっている。これからもどんどん進んでいく自分の人生を思うとかなりゆううつというかめんどうになった。小さい頃の私が大事に思っていたことがどんどんなくなっていくのがわかる。本能、というものに自分が引きずられてどうしようもなく市中を周っている。周りの子もそう。現実ではカルピスの原液のように薄めて恋愛をしているけれど、私もみんなもそんなもんだ。でもそれに別に満足しているのだ。
ふわふわとしたことを考えていると、急にやらなければならない課題を思い出し、画鋲でピシッと止められたように現実におさえられた。めんどうだなあ…と思いながら帰る。
メッセージを見る。男の人と建設的な話をする。おかしい、中学の頃は男子も女子も相いれなかったのに、いつのまにか、ところてんがひゅっと押し出されるみたいにごく自然にふるまえるようになっている。
家につくと、人にあげる予定だったデパートで買ったマカロンラスクを食べようか迷う。
文学の本を貸していただいた、かわいいものと甘いもの好きの先輩にあげる予定のもの。絶対喜んでもらえる逸品なんだけれど、その人は彼女さんがいるので迷う。お礼の気持ちに相手の喜びそうなものをあげるなんて、真っ当なことじゃない!と正論を自分は言うが、彼女の立場になると、そんな女は腐れ外道だ。先輩のことを恋愛と私は思っていないから「どうしてそんなこと思うの?」と正義面して言えるけれど、そういう、正論を天然的に言う女が一番害悪なのはよくわかるので、自分で食べることにする。おいしい。
 もう夕方。午前中をナシにする生活は虚無。わかっているけれど、夜の時間が楽しすぎてやめられない。やらなきゃいけないこともあるんだけれどやらない。ツケが来るのはいつかなあとぼんやりと考えた。