SNSと私

私は今年19歳だから、SNSと一緒に育ってきた世代だと思う。

小6ではてなブログを始め、

中1でmixiTwitterを始め、

好きなアニメの2次元創作をする為のアメブロもしていた。(当時はアメーバピグが中学内でも流行していた。)

高校生になると、iPhoneを持ち始め、それまでパソコンでやっていたSNS との距離も物理的に近くなった。

ラインで友達と毎日連絡をとっていったし、Twitterで行った場所や友達とのプリクラをのせた。

彼ができたときは、ちょっとにおわせるようなツイートをした。友達のなかにはカップル共同アカウントを

作っている人もいたし、そこまでいかなくても、「付き合って○○月記念!」

みたいなツイートはよくみたし、機械的に「いいね!」を押していた。

 

気がついたときには、SNSを始めた頃の純粋な動機の「表現したい!見てもらいたい!」

が、いつのまにか「承認欲求満たしたい!」になっていた。

そして、いつまでもつづくラインもいやもなって、高2の夏に、スマホをやめてガラケーにした。

そんなに不便はなくて、むしろ、まとめサイトを徘徊して時間を無駄にすることもなくなって、気持ちにゆとりができた。


しかし、今年の春、第一志望だった国立の教育大に受かり、連絡手段でスマホがないと不便だろうと思い、

タブレットを使うことにした。実際、サークルや学科の連絡のためには必需品だった。


ついでに、スマホ買い換え記念に、流行りのInstagramを始めてみた。

でも、Instagramに投稿するために生きている錯覚におちいってやっぱりやめた。

れいな景色、おいしいご飯、友達との時間、すべてが「投稿しなきゃ!」に変わってしまう感じがした。

そんなこと、思わずに楽しむものなのかもしれないけれど、不器用な私にはムリですぐにやめた。


今まで、Twitterのアカウントは10個以上作った。

定期的に上のような理由で、いやになってやめてきた。


やめるまではいかなくても、私のような人は他にもいるはずだ。

私の好きな歌手の大森靖子さんの歌詞にこんなものがある。

 

「離婚したいなんてFacebookに書いとらんかったじゃんね 模倣的幸せに窒息しそうで鮮やかに逃げて」

 

SNS上にある「模倣的幸せ」にこだわる自分も、合わせる周りも、気がつくと現実の自分と解離が止まらなくなっていく。でもそれは自分だけだと思って、見て見ぬふりをして「模倣的幸せ」を求めていく…


ネットはどこまでが虚構で真実なのか、自分のことも、他人のこともわからなくなってしまう。

いつも私はそれがいやで「今、目の前の現実だけみよう」と思ってさまざまなSNS を退会してきた。

 

でもそれでは、初期衝動の「表現したい!見てもらいたい!」はいつまでたっても叶わないし、

大学生になってさまざまな「おもしろいひと」と出会って、

SNSを使って、興味や人間関係を広げたいと思うようになった。

 

またすぐやめちゃうかもだけど……うまく使っていきたいです。