わかる~

 

「わかる~」

学校の宿題全部やってかなくて毎日先生に怒られてたけどそれでもやらなかった

「わかる~」

××くんのこときらいだからその子の教科書こっそり捨てた

「わかる~」

フェミニストが嫌いですwwww

「わかる~」

子ども出来ちゃったから学校やめるんだー

「わかる~」

恋愛に年の差も立場も関係ない!

「わかる~」

ディズニーランドとかつまらんよね

「わかる~」

女ってマジで無能だよな

「わかる~」

好きすぎて辛くて殺しました

「わかる~」

 昨日までのすべての時間に感謝

「わかる~」

 

 

社会的に見て「あーアウトだな」ってことでも、「わかる」と思うことがけっこうあって、忘れもしない中学時代の出来事、

学年トップの友達と下校中、不良の同級女子がスカート短くして禁止されてるアクセサリーや携帯を使ってる姿が見えていた。その子を見た友達が「いいな、楽しそう。私も次生まれたらああいう子になりたい」と言っていた。今、大学生になった友達に今もなりたいと思うかと聞いたら、NOと言われるだろうが、確かにあの瞬間、不良になりたかった。というより、一歩違う足を出せばそうなっていた。楽しそう!と強く願ったり勉強がもう手もつけたくないほどどうでもよく思えれば、そっちがわにすっと行けてしまう。でも思えなかった。高校にいきたいし、親の目もいろいろあるし。でも環境でしかない。

 

法律で禁止された恋愛をした人に、「あーそこで我慢できなかったのかー」と、我慢できた人がわかる。そして、我慢できなくなることもわかる。一歩違う足を出せばそうなっていたことがわかる。

 

社会的に正常とそうでないの違いは紙一重、でもその紙は薄いのに密度が濃い。そのひとの今までの価値観が凝縮されているから、薄いのに水は中々通さない人がいれば、スッと通してしまう人もいるし、ここは通すけどここは通さない、みたいになってたりもする。価値観は生きてる環境とかから出来上がるし。

 

日常の眼差しが、価値観の紙をつくり、行動は決まっているのではないか。

だから本当に大好きな人というのは、現れる行動なんてどうでもよくて、存在してるということや、紙を愛してるからじゃないのかな、と思った。

まあ、あんまり気に入ってる比喩ではないんですけど。