あたし性格悪いからあの子の悪口絶対言わない

 

Twitter太宰治の「女生徒」のbotがある。高校生の私はフォローしていて、たまにいいねをしていた。

 

なにか忘れたけど、ある日私はいらいらしていた。

そんな時に、タイムラインに「女生徒」botが流れてきて、私はその時の感情にぴったりでリツイートをした。

「こんなくだらない事に平然となれる様に、早く強く、清く、なりたかった。」

 

暫くすると、通知が来た。私のリツイートした言葉を、地元の友達がいいねしたのだ。

その子はお世辞にも勉強ができるといえない、ちょっとヤンキーな子だ。

そんな子から通知が来たことに私は感動した。

文学は別に高尚なものでもなんでもないと確信した。

太宰治の文学だからとかじゃなくて、ただその言葉にその子は共感していいねをしたのだろう。

 

文学ははみ出しものとか儘ならない感情のためにやっぱりあるのだ。真面目な文学少女のためにあるわけじゃない。

 

 

 

精神的な意味で、ブスになるときと女神になるときが私にはある

 

ブスモードは兎に角ブスで、妬み、嫉妬、攻撃性、被害妄想そんなことで頭がいっぱいになる。

 

女神モードは対照的に世の中の人全てが好きになる。朝の電車で、同じ車両の人達に、心から、今日一日幸せに過ごしてくださいと涙が出るくらい思う。

 

高校生の頃は頻繁にブスと女神が入れ替わり立ち代わりしていた。

今は、というとあまりどちらも出現せずどっしりと「まあぼちぼちやな」とおばさんが構えているような感覚がする。なんだかすこし寂しい気がするけれど、思春期は終わったんだな、と思う。

でもたまにだけれど猛烈に、ブスにも女神にも未だになる。ヒスと母性は紙一重なんだろうな。

 

純粋に知りたいのだけれど、他の人はこういうことないのかな?特にブスモードをどうやり過ごしているのか知りたい。

 

あと、暴走する裏垢や彼氏とのケンカも、事象そのものよりブスモードに起因している気がするから男の人も知って損はない気がする。

 

 

ホルモンバランス、というものが全ての正体かなと思う。

高校生の時、1ヶ月のある日はかならずアホみたいに悲しくなって泣いていた。

そして次の日、ホルモンのせいだとわかって「なるほど」と思って悲しさは全くなくなる。

 

 

男女差という言葉を言うのを最近憚っていたのだけれど、体感としてあるものはあるので言わざるを得ずと思う。

 

 

 ブスモードは兎に角めんどくさい。

キラキラした人を見ると悪意が総動員される。

そんなときには、私は文学が一番かなと思っている。

文学にはクズがたくさん出てくる。でも、どんなクズでも、作品だから肯定してくれる。文学のそういうところに私は何度も救われてきた。

 

だから文学は、ブスにこそやさしく開かれる。読解力とかそんなものは関係ない。ブス力の高い人にこそ開かれるのだ。私が文学が大好きなのは、つまりそういうことなのだ。