私が彼女に出会ったのは夏の終わりで、

 彼女は私の通う大学の研究員だった。

私が研究室に資料を取りに行くと、彼女は、昨日発掘されたばかりの飛鳥時代の美術品についた土を、リスの毛のブラシで、長いまつげを伏せてはたはたと落としていた。

目が合うと、彼女は私に微笑んだ。

私は、また彼女と会うことになるだろうと、意識下で感じた。

 

 

そして二週間後、大学の真っ白で無機質な休憩室で彼女に会った時は、やはり、と思った。

二人きりの静かなその部屋には、自販機のヴーンという音だけがして、西日が射していた。

彼女は私の横へ座ると

「××××さん」

 と私の名前を言った。

私はさして驚きもせず

「はい」

と返事をした。

見つめ合うと、お互いの気持ちを手に取るように感じあった。

 

女同士の交信は一瞬でなされる。

 

彼女のディオールグロスと、私のイヴ・サンローラングロスが混ざりあって、熱をもって私の唇にまとわりついた。

 

 

彼女と私は連絡先を交換することもしなかったが、定期的にばったりと会って、大学内でひっそりと逢瀬を繰り返していた。

 

 

ある時彼女が「温泉にいきたいの」とグロスを塗り直しながら言ったのでC市の温泉旅館に泊まることになった。

私は彼女と居る間、ほとんど喋らず、表情もなかった。彼女自身もあまり喋らなかったが、いつも余裕そうな微笑みをたたえていた。

旅館でもいつもどおりだった。

 

 

私たちは、食べて、お互いの身体を触りあうことを繰り返していた。

大きな蛤の浜焼に彼女は艶々の唇を近づけ、白い歯で捕食した。ちゅっと短い音を立てて貝柱を吸い込んだ。

私は、地元のブランド牛を口のなか一杯に頬張って彼女のほうをじっと見る。デザートのケーキを、お互いに生クリームが色んなところについても気にしないで、見つめあって食べた。

会話もせず、捕食し続けた。本当に食べ物は食べ物でしかなく、海の匂いや山の湿った土のにおいを感じながら味わった。

 

 

彼女の指の這わせかたは予想がつかなくて全身の細胞が緊張に満ち官能を一瞬の隙もなく感じさせる。

これまで出会った幾つかの男の手順を私は完全に忘れてしまった。

温泉では人がいなくなるとぴったりと抱き合って、硝子の外に広がる、夜の真っ暗な海を見ていた。

お湯に包まれながら彼女と私の白い胸がふにゃりとくっついて、じっと黙っている私は、まるで赤ん坊のようだと思った。

「海水は」

彼女が呟いた。

「海水は羊水の成分と98%同じなの。女は身体に海を一つ持ってるのよ」

抱き合って暗い海を見つめると海のうねりが生き物になって私を飲む。

ちゃぷんと私や彼女が動く度にお湯の音が響く。オレンジ色の照明がぽわんと灯っている。

彼女の湯船に浸ってない肌にキスするとひんやりと冷たかった。彼女の柔らかい肌に抱きしめられて、私は安心して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

ある出来事から、愛する彼を受け入れられなくなってしまった。

彼は理不尽な私の出来事に、はじめは私を心配し、同情し、大切に扱ってくれた。

しかし時が経っても変わらない私に、困惑し始め、ある日

「減るもんじゃないのに」

と言った。

心も受け入れられなくなってしまった。

 

 

 

 

 

敷かれた糊のきいた布団はひんやりと心地よく、すぐに私たちは眠ってしまった。

耳元で、おやすみ、と私に声をかける彼女の柔らかい声と、髪を撫でられる感覚を遠くで感じ、心地よく、遠い幼かった頃の母の記憶を思い出した。

 

 

 

突然やってくる、不安や哀しみの発作から離れて、ただ安心して眠りたい。

 

今の私の願いはそれだけで、一般的に見たら不安定な関係でも、私の意識が安心していられる関係で、彼女は、一本の道の先で手招きしているように感じる。

ただ、歩くと決めたのは私自身だ。