ありきたりな女

私は女性ホルモンにしたがって生きているので、くるくると約一週間周期で気分が変わる。

 

べつに誰にもわかってほしいと思わないから書こうと思わなかったけど。

 

 

女っぽくいたいな~と思って女性性をデフォルメしてるときもあるし

 

少女趣味が大好きで、プリキュアの曲ばっか聴いたり、子供のアクセサリーわざわざつけて出かけるときだってあるし

 

いわゆる男受けメイクでバッチリ固めるときもあるし

 

好きな人以外の男が生理的にムリになるときもある

 

 

 

でも全部自分だから、不安に思わない。

 

誰かのために生きてる訳じゃないっていう気持ちはあるけれど、生かされてるって気持ちの方が強いかも。

 

恋愛をしていると、相手が大切だっていう気持ちに寄りかかりながら自意識を分散させて生きていけるから楽だな、と思う。

 

無理矢理しようとすると、「好きな人以外の男がムリ」周期に辛くて狂っちゃうから無理矢理しようとは絶対思わないけれど。

 

 

基本的に、太宰治の「カチカチ山」の兎みたいな女です。

 

私が彼女に出会ったのは夏の終わりで、

 彼女は私の通う大学の研究員だった。

私が研究室に資料を取りに行くと、彼女は、昨日発掘されたばかりの飛鳥時代の美術品についた土を、リスの毛のブラシで、長いまつげを伏せてはたはたと落としていた。

目が合うと、彼女は私に微笑んだ。

私は、また彼女と会うことになるだろうと、意識下で感じた。

 

 

そして二週間後、大学の真っ白で無機質な休憩室で彼女に会った時は、やはり、と思った。

二人きりの静かなその部屋には、自販機のヴーンという音だけがして、西日が射していた。

彼女は私の横へ座ると

「××××さん」

 と私の名前を言った。

私はさして驚きもせず

「はい」

と返事をした。

見つめ合うと、お互いの気持ちを手に取るように感じあった。

 

女同士の交信は一瞬でなされる。

 

彼女のディオールグロスと、私のイヴ・サンローラングロスが混ざりあって、熱をもって私の唇にまとわりついた。

 

 

彼女と私は連絡先を交換することもしなかったが、定期的にばったりと会って、大学内でひっそりと逢瀬を繰り返していた。

 

 

ある時彼女が「温泉にいきたいの」とグロスを塗り直しながら言ったのでC市の温泉旅館に泊まることになった。

私は彼女と居る間、ほとんど喋らず、表情もなかった。彼女自身もあまり喋らなかったが、いつも余裕そうな微笑みをたたえていた。

旅館でもいつもどおりだった。

 

 

私たちは、食べて、お互いの身体を触りあうことを繰り返していた。

大きな蛤の浜焼に彼女は艶々の唇を近づけ、白い歯で捕食した。ちゅっと短い音を立てて貝柱を吸い込んだ。

私は、地元のブランド牛を口のなか一杯に頬張って彼女のほうをじっと見る。デザートのケーキを、お互いに生クリームが色んなところについても気にしないで、見つめあって食べた。

会話もせず、捕食し続けた。本当に食べ物は食べ物でしかなく、海の匂いや山の湿った土のにおいを感じながら味わった。

 

 

彼女の指の這わせかたは予想がつかなくて全身の細胞が緊張に満ち官能を一瞬の隙もなく感じさせる。

これまで出会った幾つかの男の手順を私は完全に忘れてしまった。

温泉では人がいなくなるとぴったりと抱き合って、硝子の外に広がる、夜の真っ暗な海を見ていた。

お湯に包まれながら彼女と私の白い胸がふにゃりとくっついて、じっと黙っている私は、まるで赤ん坊のようだと思った。

「海水は」

彼女が呟いた。

「海水は羊水の成分と98%同じなの。女は身体に海を一つ持ってるのよ」

抱き合って暗い海を見つめると海のうねりが生き物になって私を飲む。

ちゃぷんと私や彼女が動く度にお湯の音が響く。オレンジ色の照明がぽわんと灯っている。

彼女の湯船に浸ってない肌にキスするとひんやりと冷たかった。彼女の柔らかい肌に抱きしめられて、私は安心して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

ある出来事から、愛する彼を受け入れられなくなってしまった。

彼は理不尽な私の出来事に、はじめは私を心配し、同情し、大切に扱ってくれた。

しかし時が経っても変わらない私に、困惑し始め、ある日

「減るもんじゃないのに」

と言った。

心も受け入れられなくなってしまった。

 

 

 

 

 

敷かれた糊のきいた布団はひんやりと心地よく、すぐに私たちは眠ってしまった。

耳元で、おやすみ、と私に声をかける彼女の柔らかい声と、髪を撫でられる感覚を遠くで感じ、心地よく、遠い幼かった頃の母の記憶を思い出した。

 

 

 

突然やってくる、不安や哀しみの発作から離れて、ただ安心して眠りたい。

 

今の私の願いはそれだけで、一般的に見たら不安定な関係でも、私の意識が安心していられる関係で、彼女は、一本の道の先で手招きしているように感じる。

ただ、歩くと決めたのは私自身だ。

レゾンデートル

引っ込み思案だった私は

専ら鉄棒に精を出し

幼稚園児ながらに

逆上がりが

できた。

 

小学校では

おしとやかだね

となりのクラスの先生に

「公家っぽいね」といわれて

いつの間にか体育は苦手になって

図書館で本を読んで書いて恋をしていた

彼の愛読書はホームズの『バスカビル家の犬』

 

卒業間近の高揚感と団結感で

私は躍りを考えた

瞬く間に広まって人気者になった

家では普通やってた

友達を笑顔に出来るなんて

知らなかった

 

高校で私は

女子の友達がたくさん出来た

中学仕込みのギャグのセンスで

4階にも6階にも2階にも1階にも7階にも

私を見つけると駆け寄ってくる友達が出来た

 

「あのね、失恋して毎日泣いてたけど。

かほの動画見て元気になったよ。ほんとだよ」

緑の吹き出しで送られてきた彼女の一文が今も光る

 

泣いていた子が笑顔になった

受験生として他校生に劣等感を持っていた私は

専ら周りを笑顔にしようとした

第一私は明るいのが好きだしレゾンデートルだと思っている

 

 

愛読書は

『女性徒』

純文学

自意識

ロマン派

 

 

自然体とはなにか

自分を演じるとはなにか

すべて自分ですべて虚構?

 

社会と触れていたいから

レゾンデートルが一番大切だと思えてならない

貴女にとって

貴方にとって

(精神)

私はどんなレゾンデートルが在るでしょうか?

逐一感じていたいのです。

「ばらばらハートであいらびゅー」

多様性を認めるという意見が世界を席巻しさまざまな分野で多様性を認めるよう言われている。LGBTも人種も多数決の少数派も猫派も性癖も。「差別じゃなくて、区別だよ」小学生の私に友達がいい放った言葉が、ねっとりとした笑顔の張り付いた光景と共に蘇る。「普通」とは何をもって普通とするのかということを考えると日々の生活のさまざまなものが疑わしくなり、人間が作り出したものが虚構と化していくように見えるのではないか。私はそこまでの偏りがないので虚構の具現であるブランドバックも眼鏡理系イケメンも大好きである。型にはめずに生きるというのはむずかしくてはたから見ると危険思想人物となってしまうだろう。結婚しないで、既婚者と恋愛していたら、きっと親には泣かれる。でもその倫理観って誰が作ったの。システムひとつ作るごとにマイノリティーを作っている文化の片棒を担いでいるのは誰か。しかし私のこの文章もひとつの価値観の押し付けに過ぎず、妄信的にならないようにしなければならない。でも、私の主張自体は多様性を認めよう、という意見である。ただ、多様性を認めないという多様性は今の私は認められない。でもそれでいい。1950年代には怒りに満ちた大学生が大学を占拠して戦った。でも私はそんな闘争心はなく、いちいち自分を客観視して折衷しようと試みるが、それもまたそれでいい。私の理想は、揺らす存在になることだから。今は勉強に置いて私は思春期だから、あとしばらくしたら嫌でも諦めと悟りがやってきて自分のものになるから、周りはせいぜい揺れてほしい。

 

 

 

 

 

 

さかいめ

眠いし眠らなくてはならないのだけれど

 

だけれど

 

野球少年の言葉

「周りの人への感謝の思いを胸に精一杯がんばります!」

まっすぐな目をした彼は今どこで何をしているのかな

 

私はその言葉を縁側を開け放した暑い日、冷やし中華を食べながら見ていた

スイカの柄のシャツを着た小学生

 

「せんせいっっっっっ」

お菓子をもって腕を伸ばすのだけれどなかなか届かなくて

後ろ姿ばかり見ている

脱毛サロンに通っているのは気づいているよ

 

 

「ねえ、グラウンドを見ているのよ。

夏の、グラウンド。ううん、学校のグラウンド。

土間にパイプ椅子を置いて、トランペットを吹きながらグラウンドを見ているの。光で視界がぽーっとしてきてセミが鳴いてるの。

その音に混じって、あのこの高音が聞こえてくるから私は焦って練習を始めるわけ。グラウンドを見ながら。グラウンドの黄土色がね、目の前に迫って、セミが鳴いて、あっついったらありゃしない。そのうち自分がグラウンドの黄土色に飲まれそうな感覚がしてね、あれは蟻地獄よ。

ねえ、聞いてるの?

ねえってば」

 

 

 

 

深刻な話を笑って話す私真剣な目で見つめる貴方

 

 

 

 

 

暗い夜道をあの子が歩く。

後ろから車が来て拉致して犯して川に捨てられる。

川は流れるだけ

どれだけ負け続けても流れは止まらなく、川原に咲く紫の花は存在するだけ。

 

「あの子」という人称にしてしまう辺りが私の弱さでありズルさであり性であると感じる。

恐ろしいものは恐ろしいのだ。

 

 

とろとろと眠りそうな頃、

幼かった私は様々な光が見えた。

金色や赤のキラキラたちが光ってパレードをした。

しゃんしゃんと異国情緒溢れる音楽と共に。私に限った話ではないらしい。

 

 

 

 

 

 つまり、眠いのだ。

 

「日常とロマンチックは地続き」

瞬間こそが大事で、後に意味付けしてロマンチックに浸ることなんて虚構。

 

笑顔だったということが事実で、それだけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

夜に振り替えって、心を切なく彼の声によってかき乱される、

というのは妄想であって虚構。

 

現実の二人の間の雰囲気、表情、声

本当に、それ以上でもそれ以下でもなくその現象だけが存在し、感情となる。

 

 

 

彼と一緒にいる間、私は彼の前髪に吹き出しそうだったし、爽やかな気分だった。

 

妄想する時のような、身を焦がす感覚はなかった。

 

 

 

 

これが答え。

 

 

 

 

 

妄想こそが生きる糧であった私は、

 

受験は大学生活の妄想で乗りきり、

叶わない恋も妄想で愛を育てた。

 

 

受験は第一志望に受かり、

恋愛は終わろうとしている。

 

 

妄想なしでどうやって生きていけばいいの?

 

夜寝る前の時間は、

何か嫌なことがあったときの気の紛らわし方は、

隙間の時間は、

 

どうすればいいの?!

 

 

私の恋愛は妄想と共にあった。

 

常に叶わない恋をして、

 

身を焦がすのは決まって一人でいるときで

 

現実はうまくいかないと感じていた。

 

 

 

 

妄想のための恋。

 

そう一言でいってしまうには、あまりに葛藤と成長があったと感じるけれど、事実かもしれない。

 

 

それでも私は、現実を力一杯生きて、がしがし頑張る中で、

 

いつか彼とひょんなタイミングで二人きりになれると信じている。

 

 

 

それは日々の妄想ではなくて、

静かな自分の聖域で確信しているようなもので、

 

十年先か五十年先かもしれないけれど、そんな日が来ることを私は妄想せずとも確信している。

 

それまで、現実で別の人と恋もしながら生きていくと思う。

 

 

いつか彼と含んだ微笑みを交わし目線を落とす日が来る。

 

それがきっと、私の日常の中のロマンチック。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書「猫町倶楽部に参加して」

猫町倶楽部という、課題図書を読んで語り合うという会があります。

ずっと気になっていて今日はじめて参加してきたのですが……

 

 

めっちゃ楽しかったです!!

 

どのくらい楽しかったかというと、帰り道に会話を反芻してニヤニヤしちゃうぐらい楽しかったです!

 

はじめてだし大人の人ばっかだろうし、危ない会だったらどうしよう…と思っていましたが、安全だし親切だし、面白かったしで最高でした!!

 

 

課題図書は村上春樹の『風の歌を聴け』でした。

おしゃれな雰囲気を楽しむには最適でしたが、意味や内容はいまいちわかっていませんでした。

でも、この読書会に参加して、年齢や職種の違うかたと意見交流することで見方が違ってきました。

 

風の歌を聴け』では、時間軸をわざとバラバラにして物語が進行しています。その時間軸の解釈の仕方や村上春樹が影響を受けたであろうもの…アメリカ文学やジャズ、学生運動などを交えて考察をすることもありました。

 

普段は日本文学しか読まない私としては、本当に勉強になって、ただのあ洒落なよくわからない本だった『風の歌を聴け』が、より立体的に見えてきました。

 

意見や考察をすることで、自分では到達できないところまでたっせました!

読書会には、まだ考察が足りてないかも…くらいの参加がむしろ一番愉しいのかもしれません。

 

本当に楽しかったので、これからも是非参加したいと思います😌