キラキラポエムの嘘

四年前のクローズアップ現代で取り上げられた話です。

あふれる“ポエム”?! 
~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~
居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。
「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。
震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。
共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。
この風潮を特に支持するのは、「年収200万時代」の低収入の若者層と言われるが、厳しい現実を生き抜くために現状を肯定しようとする傾向が年々強まっているとされる。
「ポエム化」の現場を通し、社会で何が進行しているのかを考える。

前向きで短絡な言葉は時に人を思考停止させ、労働力の搾取につながる。
耳障りの良い言葉ばかり並べることで、自分の生き方を無理やり肯定する。
やりがいの搾取だ!洗脳だ!と第三者に言われても、それは自分自身を否定されたことになるから耳にいれない。会社やセミナーだけじゃなく、学校とか、他にも、集団化したらどこでも起こりうることだと思った。

言葉はやっぱり気を付けなきゃいけないと思った。
短絡化してはいけないし、違和感を消してはいけないと思う。

🌸

インスタで#入学式 で検索すると

「仲良し!」みたいな写真がいっぱいでてくる。

五六人のグループで、出会って一週間くらいで仲良し!なんて疲れるだけだぞ、と、新入生を見て思っちゃう私は心が老けちゃったのかな。

でも楽しいのは2人くらいで、あとは雰囲気で笑ってるだけだろ、と思う。

この一年で、社会性とかそういうもの、

今まではだましだましちゃんとして学校普通に行ったりしてたけど

無くなってきた。就職とかむりっぽい。

どうしよう、と思っている。

俗世な生き方はもう無理にやろうと思ってできないな、という感じがしている。ひい

 

なんでも恋愛中だと、苦手な社会性みたいなのも頑張ろ!ってなってたんだけどそういうのもカラッカラなのでないし…ぴー

そういや私、恋愛中のとき桜みて泣いたわ。二人で見れたらどんなにいいかな、幸せかなあって泣いて、奥さんになってずーっと家をきちんとしてたいって思ってた。

こんな思考だから都合いい関係で使われちゃったんだろうけどね。自分を不安にさせる人と恋愛なんかすべきではないと終わって思うけど。最中はセフレでもなんでも万歳!ってかんじだよね。

わかる、し、そうだったけど、女友達がそれに陥ってるときはつらい。不幸しかない選択肢ばっかなのはわかってるのに、何にもしてあげられない。ウチらだったらなんでもわかりあえるのに、お互い恋愛とは思わないんだよね。泣いちゃう。女の子大好きだわ。最近、女の子とイチャイチャする夢ばかり見る。幸せ

今は恋愛ってどうやってしてた?ってかんじだし、桜みてもなんとも思わないし、結婚したくないし。

でも恋愛小説に分類されるやつ今書いてるからウケる。

まあ、当事者だと小説は書けないからそれはそう、という感じだけど。

 

サークルの新歓でおもしろい子に出会えた。うれしかった。デカルトの本読んでみよーっと。

サークルメインにどんどんなってて良くないなっとは思うが音楽は強い。

 

資本主義しんど

コンビニに行って、エロ本の女の子達がちらっと視界に入った。

 

ということはコンビニに行くと毎回あることで、小さい頃なんか気になって、ちらちら見てた。

 

だって明らかに異質だもんね、無機物!のコンビニで一番生きてるし、生きすぎなくらいに。あは

 

でも、この間はちらっと目線に入るだけじゃなくて、怒りがわいた。
なんで?っていう種類の。

 

無機物!のコンビニに、唐揚げの隣で女の子の裸が売られるなんておかしいだろ、ていう。裸以上の過酷なカッコの時だってあるし、なんなの?女を何だと思ってるの?ってすっごく怒った。だって、女は商品です。て言ってるようなもんじゃん。しばらくそう思って怒ってた。

だけど、なりたくて雑誌に出てる女の子もいるわけだから違うよなー…て思ってもやもやしてた。

 

でもね、私もう本当にそうだなってことを知ったからこれは解決した、自分の中で!

 

「すべての職業は売春婦である」

岡崎京子さんがあとがきでこの言葉を紹介してた。

 

そうだよ、みーーーーーーーーーんな、どんなことしてたって、先生やってたって、ボランティア活動(きらきら)してたってなんだって股開いてる女の子も同じ、貴賤なんてない。

 

脱いでくれる天使達に感謝して、蔑むなんておかしいぞ、というか、お前もそうだぞって感じで結論が出ました。えへ

 

消費されて仕方ない世界なんだよな。

消費されて自分じゃない自分で勝手に理解されても仕方ない、お互い様。でもしんどーーーーーーーーーー

この書いたやつだって、女性差別について書いてるのかなってカテゴライズになるじゃん、でもそうじゃないんだよー私にとっては。。なんか世の中の女性差別の文脈とは違うんだよ…まえにもこういう系で書いたらFacebook系でもけっこう良い反応来たんだけどそうじゃないんだよな…自分も一瞬騙されて安易なfictionに乗っかって「そうなの…涙」ってなるけどちがうんだよなーーー

そんなときには、

「すべての職業は売春婦である」

って思い出してほくそ笑むしかない。

「たしかに。とっても大事な職業です。」

 って真面目な顔の人達、返してくるだろうね、きもちわる。

これだから女は、建設的な話ができない。

そう言われるだろうね。まあ、そうかもしれないけど、建設的な話が自分は出来てるって信じこんでるお前よりましだぞって思います。男女関係なくね。

 

 

関係ない話

わりと最近ヘイトな感じで、結局わかり合える人って一握りで、言葉でいくら対話したところで、音楽とか、年数重ねて一緒にいるとか、色んな経験一緒にしてる人には全然かなわないって思う。

意外とバカなんだなーってことばっかり。実地経験が大事だよな、まじで。

べつに個人の悪口いってる訳じゃないけど、ほんとに。

Facebookには絶対更新したとか言えないよな、こんな文章。笑

「学ぶことがあるよ」

って言われたらびっくりだわ、逆に。どこまで意味付け大好きマンなんだよ、と。

意味付けも最近ヘイトです。

 

でも文体借りて、簡単なことあえてむずかしめに抽象的にしてじゃないとヘイトできない私も相当だけどね。

黒髪セミロングワックスつけてる男


1)「よかったなー」
と最近とても思う。
何が良かったのかというと、音楽を自分がやっていて本当に良かった。

言葉は、意味を規定しすぎる。私はやっぱり言葉はあんまり好きじゃない。
ぺらぺらと実のないことばかり言ってしまう。もっと一緒に過ごしていたいから、悩みを作り出してうだうだしゃべっちゃうし、距離が詰めれそうだから居ない人の悪口を言うし、すぐ感謝、とか素敵、とか、それな、とか言っちゃうし。
踊りとか、音楽とか、空気の流れや雰囲気を作れるものがいいなって思う。
あーでも、おしゃべりでも、空気の流れや雰囲気が創られているものってあるよなあ。一言の重みがすごかったり、言葉の裏の本音を探ってるときとか。そういうのは好きだなあ…
でも基本言葉は俗っぽい。音楽も歌詞、ボーカルがないほうが好きになってきた。ジャズやっててよかったな、そう思う。

2)恋愛するとなんで馬鹿になるの?!
自分がそうだからなんだけど、猛烈な片思いとか、ラブラブに両想いな人の知能まじで0説を提唱してる。特に大学生なんてね、、私も知能0だったから…というかだからこそ終わってから自分の馬鹿さ加減にびっくりするし、周りのアドバイスとか何言われても聞いてなかったからほんとに知能0だなっておもう。世界に自分が承認されたとでも思うなよ、って感じで、世の中どんな辛いグロいことも起こりうるんだし、負け続けることも当たり前がデフォだからなと思う。ひどいこと言ってる、救いようないこと言ってるって感じなのかな?でもほんとに私はそう思うよ。でもだから知能0になって世界が幸せ~~みたいになりたいんだよなあ。合法ドラッグかな?建設的な恋愛?

3)日によって違くないか
躁と鬱とか正と負とか男と女とかわりと日による。日によって違う。
だから「いえーーい」みたいな投稿とヘイトな投稿が混在して当たり前だよな、と思う。SNSで。ものによって使い分けてるんだろうけど、全部でキチンとした感じの投稿ばっかしてる人怖い。SNSはそういうものに使ってないんだよ!とマジレスがきそうですね。反駁…

4)
私のいる学科のグループラインがなんかスクロールしてもスクロールしても長文、みたいな感じでほんとしんどい(笑)みたいな感じの時があった。
今年度はサバサバやってこうと思う。1)で書いたみたいに、なんか、思い付きの言葉ばっかり見るのはもう嫌。
世の中の雰囲気。不倫報道が過熱してたけど小室哲哉さんの件で不倫報道自体が逆にたたかれるようになったじゃん?そんな感じだよ。大きい雰囲気があって、それに水を差したり、マイノリティ的な意見がやってきて逆に世間席巻してマジョリティになって世の中の雰囲気になって、おおきくなりすぎてさらにそこに水が差されて…
弱いんだ!って大声で突進して貫き通そうとすると傷つけてるよ、逆に。
戦争ってなくならないね(笑)
ぴー

わかる~

 

「わかる~」

学校の宿題全部やってかなくて毎日先生に怒られてたけどそれでもやらなかった

「わかる~」

××くんのこときらいだからその子の教科書こっそり捨てた

「わかる~」

フェミニストが嫌いですwwww

「わかる~」

子ども出来ちゃったから学校やめるんだー

「わかる~」

恋愛に年の差も立場も関係ない!

「わかる~」

ディズニーランドとかつまらんよね

「わかる~」

女ってマジで無能だよな

「わかる~」

好きすぎて辛くて殺しました

「わかる~」

 昨日までのすべての時間に感謝

「わかる~」

 

 

社会的に見て「あーアウトだな」ってことでも、「わかる」と思うことがけっこうあって、忘れもしない中学時代の出来事、

学年トップの友達と下校中、不良の同級女子がスカート短くして禁止されてるアクセサリーや携帯を使ってる姿が見えていた。その子を見た友達が「いいな、楽しそう。私も次生まれたらああいう子になりたい」と言っていた。今、大学生になった友達に今もなりたいと思うかと聞いたら、NOと言われるだろうが、確かにあの瞬間、不良になりたかった。というより、一歩違う足を出せばそうなっていた。楽しそう!と強く願ったり勉強がもう手もつけたくないほどどうでもよく思えれば、そっちがわにすっと行けてしまう。でも思えなかった。高校にいきたいし、親の目もいろいろあるし。でも環境でしかない。

 

法律で禁止された恋愛をした人に、「あーそこで我慢できなかったのかー」と、我慢できた人がわかる。そして、我慢できなくなることもわかる。一歩違う足を出せばそうなっていたことがわかる。

 

社会的に正常とそうでないの違いは紙一重、でもその紙は薄いのに密度が濃い。そのひとの今までの価値観が凝縮されているから、薄いのに水は中々通さない人がいれば、スッと通してしまう人もいるし、ここは通すけどここは通さない、みたいになってたりもする。価値観は生きてる環境とかから出来上がるし。

 

日常の眼差しが、価値観の紙をつくり、行動は決まっているのではないか。

だから本当に大好きな人というのは、現れる行動なんてどうでもよくて、存在してるということや、紙を愛してるからじゃないのかな、と思った。

まあ、あんまり気に入ってる比喩ではないんですけど。

 

 🌏はヒドイ…

 

 

なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。

 

吉本ばなな『キッチン』

 

この世では

なんでも起こりうる

 何でも起こりうるんだわ

きっと

 

どんな

ひどいことも

どんな

うつくしいことも

 

岡崎京子『pink』

 

 

 

小さい頃は両親の魔法できれいなものばっかり!と疑いもせず身の回りを見てきたけど、思春期くらいになると身の回りレベルでちょっとずつ狂いはじめて、あれ、あたし中心に世の中はまわってるとまでは思ってなかったけど、何処までも本当に世の中は自分に無関心なのだ、とどこかで気がつく。

両親の魔法が一通り終わると自分がかけるがわになっていく。自立しなくてはいけない。私は極端に考えすぎて失敗して、家に一歩でも出たら誰かに殺されると本気で去年のある時期思い込んでカーテンを開けるにも緊張して家の中すら寝る前に不審者が潜んでないかチェックしてたし、盗聴機がないかの検査までした。

これも一種遺伝や思考ぐせという両親の魔法や呪いでもあるわけだけれど。

 

自立がまだ完了していない時期に世の中の闇、人の心の闇に触れると極端に世の中をとらえて怯えたり、パニックになったり、逆に自暴自棄になったりすることはとても自然に考えられる。だけど、生きていかなきゃいけない。多かれ少なかれ多数の人が経験していることだ。

 

 

 

 

 

 

 

日本は私小説の文化だし、私自身海外小説はあまり読まないので、ノンフィクションで書くものというとたいてい自分のことになってしまってつまらないな、と思う。

自分のことを書く行為なんて、いかに自分が好きか、もしくは嫌いか、さらに嫌いだと突き詰めてかいてやっぱりそんな自分が好きだということを書くのどれかになってしまう。ノンフィクションは傲慢。でも、このブログは捌け口で存在してもらっている。やっぱりノンフィクションのほうが書きやすい。正確に伝わらないけれど。

 

窓際のカーテンを開けれます。これがどんなに自由なことか。去年の自分はチラリと見ることすら怖かった。

 

自分の存在を全肯定してくれる人なしであなたは生きていけますか?

自分で自分を肯定することだけでもちゃんと立っていられている人を目指してきました。うーん、

2月20

 あさ、目をさますとお昼で、妹がテスト週間から帰ってきて「まだ寝てるの」と私を呆れて見て言った。電気をつけられたので「消して」と言うとさらに呆れ顔をして消された。
 やっと起きてくると祖母が病院から帰ってきて、何度も疲れた疲れたと連呼している。なんだかむっとして何も言わずにトーストを食べる。母から食洗器をかけてと言われたことを思い出してぼうっとしながら食器を入れた。
 髪の毛を染めに行こうと、美容院に電話するとつながらなかった。第三火曜日定休日、そうだった。
 大学の後期の授業がはじまってからずっとバタバタしていてきちんとできていなかった部屋を掃除しようと試みる。ちょこっときれいにした。
 その後本を読む。正岡子規の「恋知らぬ猫のふり也玉遊び」という句がいいなと思った。猫が気づいていてもわざと知らんぷりして玉で遊んでいるところが思い浮かんだ。ラインで恋愛について聞かれたメッセージに「よくわかんないです」と答える。影響されやすい質である。
 TSUTAYAに行こうと思って、お化粧する。今日は予定が何もないし、しなくてもいいのだけれど、する。気分が上がる。一年前までしないで外を出歩いていたことが信じられない。化粧とは男のためにするものだと文学の作品分析で習ったけれどそうではないと思う。
最近買ったイヤリングをしていこうと思ったが、片方なくしてしまった。心から悲しくなる。落とした場所に心当たりがあったので向かうことにした。
 その前に、六十歳上の文通相手にお手紙を書く。つらつらと一枚弱書いておしまい。軽く封筒にのりをつける。
 ファー付きのコートと手袋をするとシルエットがかわいくて良かったので、ハイヒールも履くことにした。TSUTAYAに行くだけだけど。片方だけになったイヤリングを右にだけする。こういうファッションなんですッという顔をする。
 外に出ると日差しがあたたかくてよかった。スーパーに寄ってたらこパスタの素を買う。さっき読んだ本でたらこパスタが出てきたのだ。影響されやすい質である。
 イヤリングの現場に横断歩道を渡ってすぐまできた。遠くから、地面にきらっと光るものが落ちているのが見える。ああ、あれは私のイヤリングに違いないと思う。右耳のイヤリングもちりちりなっている。青になって渡ってみると、そこには何もなかった。ただ、アスファルトの石が光っているだけだった。しばらく下を見てうろうろすると道行く人に怪訝な目で見られる。
諦めて、交番に行く。イヤリングの落とし物の届け出を書く。「思い入れのあるものですか?」「特別な素材がつかわれているとかですか?」と聞かれたが、私の落としたものは量産の1600円くらいのもので、自分で買っただけなので申し訳なくなった。
交番を出て、TSUTAYAに行こうとすると、向かいから来たおじさんに、「おねえちゃん、手袋」と言われた。振り返ると、手袋を片方落としていた。ちょっと笑ってしまった。
TSUTAYAに行くのが急にめんどくさくなって、家に帰ることにする。
家を建て替えるときに一時住んでいたマンションを横切る。段ボールに囲まれた、とんちんかんで楽しかった毎日を思い出す。夏の制服で、マンションのエントランスから、一駅近くなった駅へ毎朝ダッシュしていた。制服がとてもなつかしい。とくに夏服が好きで、着たい、と思った。セミの声も、制服の糊のきいた質感もなつかしい。
女子中学生の一団とすれ違う。進路の話と悪口。みんな左に口角を上げて低い声で笑っている。なつかしい。なんかだか生臭くてヒリヒリしていた中学時代を思い出す。
路地のミラーに自分が写っている。足が太くてがっかりする。この一年でさらに顔は丸く、目が小さくなった。ぶってやりたいようなあさましさだった。
年月を実感する日はあまりないけれど、なにも予定がなくて、スマホもあまり見てない今日は色々と感じては消えることばっかり感じている。棒切れみたいな小学時代、やたら太っていた中学時代も過ぎてしまった。私はそんなころは成人になる前に自分は死んでいる気がしていた。
いま、というものはおかしい。いま、いま、と言っているうちにいまはいなくなっている。これからもどんどん進んでいく自分の人生を思うとかなりゆううつというかめんどうになった。小さい頃の私が大事に思っていたことがどんどんなくなっていくのがわかる。本能、というものに自分が引きずられてどうしようもなく市中を周っている。周りの子もそう。現実ではカルピスの原液のように薄めて恋愛をしているけれど、私もみんなもそんなもんだ。でもそれに別に満足しているのだ。
ふわふわとしたことを考えていると、急にやらなければならない課題を思い出し、画鋲でピシッと止められたように現実におさえられた。めんどうだなあ…と思いながら帰る。
メッセージを見る。男の人と建設的な話をする。おかしい、中学の頃は男子も女子も相いれなかったのに、いつのまにか、ところてんがひゅっと押し出されるみたいにごく自然にふるまえるようになっている。
家につくと、人にあげる予定だったデパートで買ったマカロンラスクを食べようか迷う。
文学の本を貸していただいた、かわいいものと甘いもの好きの先輩にあげる予定のもの。絶対喜んでもらえる逸品なんだけれど、その人は彼女さんがいるので迷う。お礼の気持ちに相手の喜びそうなものをあげるなんて、真っ当なことじゃない!と正論を自分は言うが、彼女の立場になると、そんな女は腐れ外道だ。先輩のことを恋愛と私は思っていないから「どうしてそんなこと思うの?」と正義面して言えるけれど、そういう、正論を天然的に言う女が一番害悪なのはよくわかるので、自分で食べることにする。おいしい。
 もう夕方。午前中をナシにする生活は虚無。わかっているけれど、夜の時間が楽しすぎてやめられない。やらなきゃいけないこともあるんだけれどやらない。ツケが来るのはいつかなあとぼんやりと考えた。